FIREまで、あと1ヶ月を迎えました。
長かったようで、振り返れば早かった約20年の投資人生が、ようやくひとつの形になろうとしている。

このようなタイミングで、先日YouTubeでサイドFIREのリアルを発信しているひろさんと対談させてもらう機会をいただきました。私自身の投資人生を振り返るのにとてもいい機会になりました。その中でも話した内容も含まれますが改めて、

なぜFIREを目指したのか
どんな条件でFIREを目指したのか
FIREまでにどんな障害があったのか
そして、FIRE後にどんな不安が残っているのか

今回は、そんな内容を記事に残しておこうと思い書きました。


ひろさんはFIREのリアルについて様々な情報発信を発信されていて、自身もFIRE達成者でユーチューバーでもあります。奥様のあやさんとのFIRE週報やFIREのリアル、あとは私も対談させてもらったFIRE達成者や目指している方との対談などとても参考になるチャンネルでFIRE目指す方にとてもおすすめです。(http://www.youtube.com/@side-fire-real


なぜFIREを目指したのか

投資を始めたのは大学時代。
友人に誘われ、深い理由もなく「少しでも稼げたらいいな」という軽い気持ちだった。
当時は投資の本質なんて何も分かっていなかったが、未来への漠然とした不安だけは確かにあった。

そのまま社会人になったが、就職氷河期の真っ只中で、何十社も落ち続け、ようやく1社から内定をもらった。
しかし、そこで待っていたのは“社会人の洗礼”だった。

終電帰りが当たり前の残業。
ヤンキーのように怖い先輩。
入社前は「自分ならやっていける」と思っていたが、1年も経たないうちに心が折れかけた。

この頃から、人生における“仕事の位置づけ”を真剣に考えるようになった。
仕事漬けの人生を望んでいない。
もっと人間らしい生活をしたい。
家族や自分の時間を大切にしたい。

そんな想いが芽生え、公務員への転職を決意した。(当時は公務員の仕事を楽なものと思っていました💦実際は大変な仕事もありますし部署によっては残業も多かったです。)

転職後も投資は続けていたが、次第に「もし働かなくても配当金で生活できたら…」という夢が頭をよぎるようになった。
当時の資産は数百万円。
もちろん、FIREなんて夢のまた夢。
それでも、心のどこかで“いつか自由を手に入れたい”という想いが静かに育っていった。


FIRE達成の条件

FIREには、大きく4%ルールのように資産を取り崩す方法と、配当金などの不労所得で生活する方法がある。
私の場合は後者だった。
というのも、FIREを意識し始めた頃は4%ルールという概念がまだ一般的ではなく、自然と「配当金で生活する」という方向に向かったからだ。

最初に立てた目標はシンプルだった。
「サラリーマンの平均年収くらいの配当金があればFIREできるだろう」

しかし、実際にその水準に達したとき、私はFIREを決断できなかった。
理由は明確だった。

結婚し、子どもが生まれ、FIREが“自分ひとりの問題”ではなくなっていたからだ。

そこで私は次の目標を立てた。

「世帯年収を丸ごと配当金で賄える状態」

これなら家族の生活が揺るがない。
そして何より、自分自身が安心できた。

FIREを決断したのは45歳。
働き続ければ年収はまだ伸びていく年齢。
普通に考えれば、ここから収入を手放すのはもったいない。
退職の意向を職場の上司に伝えた時にももったいないと言われた。

だが私はこう考えた。

労働収入は定年で途絶えるが、配当収入は死ぬまで続く。
ならば、今の労働収入の増加分を捨てても、長期的には生活が成り立つ。

エクセルで何度もシミュレーションを重ね、教育費も生活費も保守的に見積もり、暴落時の資産減少も織り込んだ。
それでも資産が枯渇しない未来が見えたとき、私はようやくFIREを現実として捉えられるようになった。


FIRE達成までの障害

FIREの条件を満たしたとしても、それだけで仕事を辞められるわけではない。
私にとって最大の難関は、妻の了承を得ることだった。

以前から冗談交じりに「投資がうまくいったら仕事辞めたいなぁ」と話したことはあったが、投資に興味のない妻からすれば、そんな話は“夢物語”にしか聞こえなかったんだと思う。

いざ本気でFIREを切り出したとき、すぐに受け入れてもらえるとは思っていなかった。

最初は口頭で「もう働かなくても生活できる状況になったから、仕事を辞めようと思う」と伝えた。
返ってきたのは、「は?ちょっと今忙しいから、休みの日に話して」という反応。
当然だ。突然そんなことを言われても、信じられるはずがない。

休日に改めて話しても、妻の表情には“半信半疑”が残っていた。
そこで私は、エクセルで作り込んだシミュレーション資料や今後の見通しをまとめたプレゼンを用意し、丁寧に説明した。
ようやく、それでもしぶしぶではあるが了承を得ることができた。

妻自身も辞めようと思えば辞められる状態だったが、「そんなにすぐ辞める決断はできない」と言い、しばらく働き続けることになった。
でもその妻の選択は、FIRE計画にとってはかなり大きなバッファとなり、家計的にも精神的にも非常に助かる。(妻には内緒だが)

次に考えたのは、親と職場にどう伝えるかだった。

親には反対されると思っていたが、状況を説明すると意外にも反対はされず、むしろ感心され、応援までしてもらえた。
職場には「FIREします」とは言いづらいので、最近取得したFP資格を生かして別の形で活動していくと伝えた。
これは嘘ではない。
Xやブログでの発信は、私にとって立派なFPとしての活動だ。

こうして、家族・親・職場という“人間関係の壁”をひとつずつ越えていき、ようやくFIREへの道が開けた。


FIRE後の不安

シミュレーション上ではFIREできる状態になったとしても、不安がゼロになるわけではない。
むしろ、FIREを現実として意識した瞬間から、これまでとは違う種類の不安が顔を出す。

相場がどう動くかは誰にも分からない。
暴落が起き、長期で株価が低迷するかもしれない。
今受け取っている配当金が減る可能性もある。
あるいは、金融所得課税が変わり、手取りが減る未来だってあり得る。

可能性を挙げればキリがないほど、不安材料はいくらでも出てくる。

ただ、これらをすべて気にしていたら、いつまで経ってもFIREはできない。
結局のところ、不安は“なくす”ものではなく、“管理する”ものだと気づいた。

だから私は、FIRE後も運用を続けていく。
ただし、これまでのような攻めの運用ではなく、守りを意識した運用だ。

もう信用取引のフルレバレッジなんてことはしない。
ETFや投資信託を中心に、債券やコモディティにも分散しながら、ゆっくりと資産を育てていく。
GPIFが年金を4資産に均等分散しているように、同じ考え方で投信を組み合わせたり、均等分散型投信を買うのもひとつの方法だ。

不安は完全には消えない。
でも、不安があるからこそ、家計を守るための戦略を立て、運用を続け、生活を整えていくことができる。
不安と向き合いながら、それでも前に進む。
それが、FIRE後の生き方だ。


おわりに ― FIREは“逃げ”ではなく“選択”だった

FIREを目指した理由も、達成の条件も、乗り越えた障害も、そして今抱えている不安も、すべては「自分の人生をどう生きたいか」という問いに向き合った結果だった。

仕事を辞めることが目的ではない。
自由な時間を手に入れ、家族との時間を大切にし、自分の価値観に沿って生きるための選択がFIREだった。

FIREはゴールではなくスタート。
これからの人生をどう使うかは、これからの自分次第。