高価なモノより、心に残る時間を。歳を重ねて気づいた「本当に満たされるお金の使い方」

若い頃は“見える成功”が欲しかった
20代の若い時は、株で稼いだらいい車に乗って、高価なモノを身につけたいと思っていた時期があった。
あの頃は、成功とは“外から見える形”で示すものだと信じていた。
良い車に乗れば、自分の価値が上がる気がした。
高い時計をつければ、周りから認められる気がした。
ブランド物を持てば、自信が手に入る気がした。
でも今振り返ると、あれは全部、
「周りからどう見られるか」
を気にしていた裏返しだった。
本当の自信なんて、なにも持てていなかったのだと思う。
歳を重ねると、価値基準は静かに変わっていく
いつからだろう。
ただ高ければ良い、目立てば良い、そんな基準が自分の中で薄れていった。
周りの目よりも、
自分の心がどう感じるか
のほうが大事になっていった。
- 本当に必要なモノ
- 本当に満足できるモノ
- 心を満たしてくれるモノ
そういう基準で選ぶようになった。
自分の軸で選ぶことが大切
高価なモノを買った瞬間の高揚感は確かにある。
でもあれは、ほんの一瞬だ。
時間が経てば慣れてしまう。
もっと良いものが欲しくなる。
“所有の快楽”には終わりがない。
もちろん、高価なモノに価値がないと言っているわけではない。
むしろ、高価だからこそ価値があるモノはたくさんある。
ただ私は、
“高いだけで実用性のないモノ”
には惹かれなくなった。
必要があって、実用的で、機能性が充分で、
自分の生活を確かに豊かにしてくれるモノ
であれば、それは間違いなく買う価値がある。
そういうモノには、お金をかけていいと思う。
なぜなら、
“本当に価値のあるモノ”は、
使うたびに心が満たされ、時間とともに愛着が深まるから。
価値観は人それぞれ。
誰かにとっての贅沢が、別の誰かにとっての浪費になることもある。
だからこそ、自分の軸で選ぶことが大切なんだと思う。
例えば車が好きな人も多い。
それが人生の生き甲斐になっている人にとっては、車にお金をかけることは“意味のある使い方”だと思う。
そういう人にとって車は単なる移動手段ではなく、
人生の景色を広げてくれる相棒
そして、その車で家族とよく出かけるなら、
その車そのものが“思い出の一部”になる。
家族で乗り込んだときのワクワクした空気。
高速道路で流れる景色。
みんなで歌った音楽。
そういう記憶は、車とセットで心に残る。
だからこそ、
その人にとって価値があるなら、それは素晴らしいお金の使い方だと思う。
人生の最後に残るものは何か
ふと考えることがある。
もし自分が死ぬ瞬間、何を思い出すのだろうか。
おそらく、高価なモノをかったことなんて
思い出すことはない。
浮かんでくるのはきっと、
“楽しかった事、辛かった事、嬉しかった事や大切な人との思い出”
だと思う。
学生時代の部活動。
恋愛。
子供の成長。
家族で行った旅行。
みんなで囲んだ食卓。
家族の笑顔。
そういう“映像”が、静かに心の中に浮かんでくるのだと思う。
そしてその映像は、
高価なモノとは違って、
時間が経つほど価値が増していく。
“思い出の総量”を増やすためにお金を使いたい
だからこそ、これからのお金の使い方は、
思い出の総量を増やすために使いたい。
- 家族の笑顔が増えること
- 心が動く体験が増えること
- 未来の自分が「あの時間は本当に良かった」と思えること
そういうことにお金を使いたい。
人生の終わりに残るのは、
モノではなく、心に刻まれた“時間”の記憶。
その記憶を増やすために、これからもお金を使っていきたい。












