【禅とFIRE】「隣の億り人」よりも、自分の脱いだ靴を揃えること。

「他人の靴」ばかり見ていないか
FIRE生活に入り、時間が自由に使えるようになると、ふと手持ち無沙汰な瞬間にスマホを開いてしまいます。そこで目にするのは、自分よりはるかに大きな資産を持つ人、華やかな隠居生活を送る人、あるいは投資手法を巡って熱く議論を交わす人々。
「自分はこのままでいいのだろうか?」
「もっと効率的な運用があるのではないか?」
画面をスクロールするたびに、そんな「他人の正解」が自分の心に土足で踏み込んでくるような感覚。これこそが、自分を見失いかけているサインでした。
今回の整い:『照顧脚下(しょうこきゃっか)』
禅寺の玄関によく掲げられている言葉です。
「脚下(足元)を照顧せよ(よく見なさい)」、つまり「他人のことをあれこれ言う前に、まず自分自身の足元をしっかり見つめなさい」という教えです。
これは「靴を脱いだら揃えなさい」という具体的な作法としても大切にされています。自分の脱いだ靴を揃えるという、ほんの数秒の動作。それができないほど心が散漫になっているなら、どんな立派な理想を語っても意味がない、というわけです。
情報の海から「自分の足元」へ戻る
投資家としての私も、つい「市場の動向」や「他人のポートフォリオ」という遠くの景色ばかりを眺めていました。しかし、他人の成功や賑やかな声に目を奪われていると、肝心の「自分」の現在地が見えなくなってしまいます。
FIRE達成者として、そして一人の人間として言いたいのは、投資はあくまで人生を豊かにするための「手段」であり、生活の一部に過ぎないということです。投資が人生のすべてになってしまっては、本末転倒です。
画面の中の数字の増減よりも、家族と囲む食卓の空気や、自分と大切な人の健康。そちらの方が、私たちの人生において、はるかに守るべき価値があるはずです。
「整える」ことから始めるFIRE生活
『照顧脚下』の精神を日常に取り入れるのは、実はとても簡単です。
私は最近、スマホを見ない時間が以前より増えました。スマホを置いた後、まずは自分の身の回りを整理することから始めています。
玄関の靴を揃えるのはもちろん、デスク周りやリビング、キッチンなど、目に付く場所が散らかっていたら、その場で整頓する意識を持つ。
たったそれだけのことで、それに集中すると不思議と「他人の正解」に惑わされていた心が静まり、「自分は、今、ここで、こうして生きている」という確かな手応えが戻ってきます。
誰かが作った「正解らしきもの」を追いかけるのは、もうおしまい。
まずは自分の足元を美しく整え、自分だけの豊かな暮らしをデザインしていきたいと思います。











