就職氷河期の中で就活をしていた頃、友人たちは次々と一流企業へ進んでいきました。
自分だけが取り残されたような感覚があり、胸の奥には小さな劣等感が残っていました。
このことは以前記事にもしましたが、この劣等感は投資を頑張るためのモチベーションにもつながったので必要なものだったかなと今は思っています。

ただ、この劣等感は社会に出てからも、しばらく消えませんでしたし、今でも多少は残っているような気がします。
「もし自分もあの企業に入れていたら…」
そんな“もしも”を考えてしまうこともありました。


友人が働く企業の株を、自分が保有するようになった

投資がある程度うまくいくようになったころ、友人が働いている企業の株を保有することがありました。

その企業の業績が上がれば、私の資産も増える。
その企業が生み出した利益の一部は、配当として株主の私に還元される。

この仕組みを理解した瞬間、心の中で何かが動きました。

「自分が入れなかった企業で働く優秀な人たちが生み出した価値を、株主として受け取っている。」

この事実は、単なる優越感ではありませんでした。
むしろ、視点がひっくり返るような不思議な感覚でした。


就職という“入口”と、株主という“別ルート”

就職という入口では選ばれなかったかもしれない。
でも、投資という別のルートからであれば、その企業の一員になれる。

そう思えるようになってから、一流企業に入れなかったことへの嫉妬心は自然と薄れていきました。
むしろ、彼らが一生懸命働いた利益の一部が我々株主に還元されると思うと、立場的には自分の方が上なんじゃないかと感じるようなときもありました。

そして、就職では基本的にその1社に尽くす形になりますが、投資ではお金の許す限り何社にでも投資することができます。しかも国内だけでなく国外の企業にだって投資できる。このように考えると、自分が社会に対してなにか大きなことをしているような感覚になりました。


投資の見え方が変わった瞬間

投資を始めた頃は、正直なところ「自分の資産を増やす」という自己中心的な意識が強かったと思います。将来の不安を減らすための“自己防衛”としての投資でした。もちろん、今でもその側面はあります。

しかし、企業の仕組みを理解し、自分の資本が企業活動の一部になっていると実感した時、投資の見え方は大きく変わりました。

企業が設備投資をするのも、新しい人材を採用するのも、研究開発を進めるのも、すべて資本があってこそ。
その資本の一部を、自分が提供している。

もちろん、私一人の資本で社会が動くわけではありません。
それでも、自分の資金が企業の成長に使われ、その企業が社会に価値を生み出し、その成果が株主に還元される。
この循環を理解した瞬間、投資は単なる“お金儲け”ではなくなりました。


今の私にとっての「投資」

今の私にとって、投資とは “自分の生活を支えるもの” であり、同時に “社会も支えるもの” だと感じています。

自分の資本が企業の活動の一部となり、企業が社会に価値を生み、その成果が株主に還元される。
その循環の中に、自分も組み込まれているという実感は、投資を始めた頃には想像もしなかった感覚でした。

投資は、個人のためだけではなく、社会のためにもなる。
そう思えるようになってから、投資は単なる資産形成ではなく、人生そのものを支える大切な営みになっています。

いまだに投資はギャンブルだ、投資で楽して稼ごうなんてけしからん、という声もありますが、私は立派な社会貢献としてもとらえています。投資家のみなさん胸をはっていきましょう!