【禅とFIRE】「何者か」になろうとする自分を、一杯のお茶でリセットする。

自由を手に入れたはずなのに、なぜか心が騒がしい。
2026年4月、長年勤めた組織を離れ、私は「FIRE実践者」としての第一歩を踏み出しました。
満員電車からも、終わりのない会議からも解放され、手に入れたのは「自由」。
しかし、いざその海に漕ぎ出してみると、意外な「ノイズ」が私を待ち受けていたのです。
それが、SNSという名の濁流でした。
「何者か」という肩書きへの執着
組織という後ろ盾を失った途端、無意識のうちに「何者か」であることを証明しようと焦っている自分に気づきました。
- ブログのPV数を伸ばさなければ。
- アドセンスの収益を上げなければ。
- Xで価値ある発信をして、フォロワーの期待に応えなければ。
気づけば、誰の目も気にせず自由に生きるためにFIREしたはずなのに、スマホの画面越しに見える「他人の正解」や「数字の評価」に、自分の軸を預けてしまっていたのです。
つまりFIREして自分軸で生きられるはずなのに他人軸で生きてしまっていたのです。
そんな、少し疲れかけていた私の心にスッと入ってきた言葉があります。
今回の整い:『喫茶去(きっさこ)』
禅の世界で有名なこの言葉。
直訳すれば、「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」という非常にシンプルな意味です。
かつて、ある高名な僧のもとに「禅とは何か」を問う人が次々と現れました。僧は、相手が誰であっても、どれほど熱心に教えを乞うてきても、ただ一言、こう言ったそうです。
「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」と。
「ただ、やる」という贅沢
この言葉が教えてくれるのは、「理屈や見栄、将来への不安や過去への執着を一度すべて脇に置いて、今、目の前にあることに100%没入しなさい」ということです。
投資の世界では、常に「次」を読み、効率を求め、数字を管理することが求められます。
ブログ運営でも、つい「読まれるための正解」を探してしまいます。
でも、人生の主人公はあくまで自分です。
- 誰のためでもなく、自分の思考を整理するために書く。
- 収益のためだけでなく、自分が「これは正しい」と信じる戦略を練る。
- 他人の反応を追う手を止めて、今、目の前にある一杯のお茶の香りを、ただ味わう。
「何者か」になろうと背伸びするのをやめて、ありのままの自分で「今」に集中する。それこそが、FIRE生活において最も大切にすべき「心の資産管理」なのだと気づかされました。
これからの「NAO Wealth Design」について
このブログは、これまでのような投資戦略の発信に加え、少しだけスタイルを変えて今回のような記事も書いていこうと思います。
数字や効率だけではない、「自由をデザインするための、心の整え方」。
私がFIRE生活の中で出会った禅の言葉を添えながら、日記のようにつづっていきます。
もし、あなたが周りのペースに流されそうになったり、一人の時間にふと不安を感じたりしたときは、ぜひこの場所を訪れてみてください。
「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」
そんな温度感で、また次の記事でお会いしましょう。
参考までに、今回、このような記事を書こうとしたのにはある一冊の本との出会いがありました。
先日Xでも紹介した『なんにもしない。』です。
本屋にぶらっと立ち寄ったら見つけた、『なんにもしない。』
— NAO@FIRE 2026.4 (@nao_toushi) April 10, 2026
という本📕
今日発売したようだ。
つい手に取ってしまった。
FIREして自由になったのに心のどこかで「何かしなきゃいけないな」という焦りみたいなものを感じていた。
そんなタイミングでこの本に出会った。… pic.twitter.com/GT22cH4x94
FIREしている人向けのようなタイトルに感じますが、どちらかというと働いている方向けに書かれている本です。情報過多な今の時代、まずは自分自身と向き合うのが大事だということを教えてくれます。












