こんにちは、NAOです。

世の中で「便利なモノ」と呼ばれる新製品を見るたび、私たちは「すごい!」と胸を躍らせますよね。ボタン一つで洗濯から乾燥まで終わり、お風呂はシュッとスプレーするだけで擦らずに綺麗になる。ロボットが自動で掃除をしてくれて、食事は指先一つで高カロリーで美味しいものが自宅に届く。

これがいわゆる、現代社会における「便利で豊かな暮らし」と言われるスタイルかもしれません。

しかし、こういった便利な暮らしが本当に豊かで幸せなものなのだろうか?というのが今回のテーマです。

以前、このブログで稲垣えみ子さんの著書『家事か地獄か』を取り上げ、日々の家事に自分の手足を使って向き合う価値について書きました。

便利家電も贅沢もいらない。FIRE1年目の私が『家事か地獄か』から学んだ、本当の「自立」 サラリーマン卒業と、突然始まった「専業主夫」の日常 こんにちは、NAOです。 今年の3月末、私は20年ほど勤めた公務員を退...

今回は稲垣さんの『寂しい生活』を読みました。もともとは前回の『家事か地獄か』ではなく、こちらの本を読みたかったんですが、いつも図書館で貸出中になっていたのがようやく借りられました。それだけ人気があるってことですね。そして、読んでみてまた新たな気づきがありました。

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効率至上主義の社会から一歩降りて、あえて「不便さ」や「面倒くさいこと」に向き合うなかにこそ、本当の自由と生きる実感がある。本当の豊かさ、幸せについて考えさせられる1冊でした。

今回はこの本の内容に私の感じたことを交えて記事にしていきます。

1. 「便利=幸せ」という幻想と、現代社会の奇妙なバグ

現代の便利家電やAIが提供してくれるものって、要するに「プロセスの徹底的な省略」ですよね。

乾燥機付き洗濯機でいえば洗う、乾かすという身体的プロセス。ロボット掃除機では、ボタンを押すだけ。AIでは悩む、調べる、組み立てるという思考的プロセス。これらをすべてマシーンに丸投げし、結果だけを手に入れる。それが所謂「便利」と言われているもの。

これらは非常に効率的で忙しい現代人の強い味方だと思いますが、私たちの脳みそや肉体に目を向けると違った点が見えてきます。

人間は、その「試行錯誤するプロセス(面倒くさいこと)」の最中にこそ、脳が働き、身体も使う。日々の生活で頭も体も使わなくなったら、人間はどうなっていくのか。間違いなく、生物として「退化」していきます。自宅では便利家電が家事を代わりにやってくれる。職場ではAIが面倒くさい仕事を代わりにやってくれる。

そうやって家でも職場でも「自分の頭で考えなくなる、体を使わなくなる」。社会はこれを「豊か」だと解釈しているのかもしれません。

しかし、この「動かない豊かさ」の先にある矛盾に気が付きました。

家事や移動をすべてテクノロジーに頼り、人間は動かなくなる。そうやった生活でエネルギー消費量は減っているのに、食事は外食やデリバリーで高カロリーに。その結果、生活習慣病のリスクが高まる。当然ですよね。
そして、その不健康を解消するために、お金を払ってジムに行き、ランニングマシーンの上を走る……。

これってなんか変じゃないか。

生活の中にあったはずの「自然で健康的な営み(家事)」をお金を払って排除し、その穴を埋めるためにまた別のお金を払って体を動かす。

こんな生活を目指すから、お金が足りないって感じるのではないでしょうか?
そして、そういう生活をしたいがために、ストレスのかかる仕事を一生懸命頑張る。残業する。睡眠時間が削られる。ますます不健康になる。そんな生活を、果たして「豊か」とか「幸せ」と呼べるのでしょうか。

2. 資本主義の「足りない演出」から抜け出す自由

なぜ私たちは、この奇妙なループから抜け出せないのか。それは、経済・社会が常に「足りない演出」をし続けているからです。これは本書の中でも書かれているものです。

経済を回すためには、モノを売らなければなりません。そのためメディアや広告は、「今のあなたでは不十分ですよ」「最新のこれを買えばもっと幸せになりますよ」と、私たちの欠乏感を刺激し続けます。携帯電話が登場してどこでも通話できるだけで画期的だったのに、ネットに繋がり、カメラが付き、財布機能が付き……と、次から次へと新しい機能を乗せて買い替えを促すのはその典型です。これは家電全般に言えますよね。エアコンも今や掃除機能付きが当たり前。あらゆる家電がネットにつながり、AIが搭載される。

この「もっと、もっと」という消費のゲームに参加している以上、どれだけ稼いでもゴールには辿り着けません。なぜなら、ゴールポストが常に後ろへ動かされているからです。

私が『寂しい生活』を読んでハッとさせられたのは、本当の「自由」の定義でした。

本当の自由とは、「モノがなくてもやっていける自分」を発見すること

周りを追いかけるのをやめ、「何も足さなくても、今のままの自分でいいんだ」と気づくことが、究極の自由なのだと。

3. 「消費させられる」から「主体的に選ぶ」へ。心地よいバランス

とはいえ、「明日から電気もガスも使わない原始的な生活をしよう!」と言いたいわけではありません。まぁ稲垣さんはそういう生活をされていますが(笑)。

大切なのは「創造と消費の心地よいバランス」を見つけることです。

  • 自分でできること(料理やDIY、庭いじりなど)は自分の手と頭を使って楽しむ。
  • 自分ではできないことは、割り切って便利なモノやサービスを使う。

一番危ういのは、世間の波に流されて「無自覚に際限なく消費し続けてしまうこと」です。

「これは自分で作れる」「我が家はこれで十分」という自分軸を持っておくだけで、物欲の暴走に自然とブレーキがかかります。

ただお金を払って受け取るだけの受動的な消費者から、「あえてこの便利さを買う」と主体的にコントロールする側へ回ること。このバランス感覚こそが、現代においてストレスなく、自分らしく豊かに生きるための現実的なライフデザインだと思います。

4. 家事と庭いじりは、最高の「天然ワークアウト」

実際にFIREした後、自分の生活と向き合って実感していることがあります。

それは、自分で掃除や洗濯をやったり、DIYや庭いじりをする生活は、最高のワークアウト(運動)になるということです。

家中を動き回って掃除機をかけたり雑巾で拭いたり、洗濯物を干して畳んだり、ちょっとした家具を作ってみたり、庭の土をいじったり、草をむしったりするのは、想像以上に体力を使います。わざわざジムに行かなくてもいい汗をかけます。日々の暮らしを自分の手で調えるだけで、体は十分に引き締まり、健康的に維持できるのではと感じています。

しかも、ジムの運動と違って、家事やDIYには自分の頭と体を使った結果、目の前の環境が美しく調うという、目に見えるご褒美があります。

食事だって外食ではなく、自炊することで、食べたいものを安く、そして健康的にすることができます。

お金やマシーンに依存せず、自分は自分の頭と体を使って、この場所で生きていけるという感覚。これこそが、何にも縛られない最強の自立であり、自由の本質だと。

日常の面倒くさいことを遠ざけず、正面から向き合っていくこと。

その試行錯誤の中にこそ、五感が働き、心が満たされるヒントが隠されていると思います。